2012年1月25日水曜日

Living In The City

20年以上東京に住んでいるから、それなりに引っ越しを重ねてきた。
最初に住んだのは駒沢大学という駅の近く。
つまり駒大に入学したからなのだけど、親戚のおじさんが住んでいて、
そこに居候させてもらった。
ちょっと変わった作りで、一軒家なのだけど、
僕の住んだ一部屋だけ住み込み用に別の玄関があって、
そこに暮らさせてもらっていた。
駒沢は都心に近く、公園もあっていい街だったな。

その後に住んだのは、今現在、居を構えている国分寺。
中央線に住みたくて、高円寺や阿佐ヶ谷を探したのだけど、
当時はまだバブルの残り香もあって、家賃や敷金礼金も
いちいち高かった。
なので、探して探して予算内に収まる納得いく部屋があったのが、
ようやく国分寺だったというわけ。
でも、あの時にこの街に住んだから、国分寺への印象が強く残ったと思う。

その後社会人になり、やはり国分寺からの通勤が億劫になり、
世田谷に戻った。場所は代田橋。
ボロアパートで、今思うとちょっと失敗だったなと思う。
街も殺風景な環七沿いで、あまり好きになれず
2年で出てしまった。

でも世田谷の便利さは忘れられず、その後に引っ越したのが
明大前。
ここは良かった。
納得いくまで家探しをして、当時で2K、風呂トイレ別で7万円だったから、
かなりいい掘り出し物件だったと思う。
ただ日当りが悪くて、当時たくさん持っていた皮ジャンは見事にカビだらけになった…
この頃からパソコン持ったり、洗濯機も買ったり、
持ち物が増えたんだと思う。

で結婚して、将来的な事考えて次に移ったのが、
横浜の青葉台。まあ、横浜とは言えないね、あそこは。
部屋は初めての3DKで素敵だったけど、
どうにも街が馴染めなかった。オシャレで綺麗なんだけど、いい意味での猥雑さが無い。
悪く言えば、東急不動産が作りあげた街という感じ。

上の子供が出来た時に、保育園の待機児童の問題もあったんだけど、
オレたちが一生暮らす街じゃないよね、という事になり、
考えて探したのが国分寺の街だった。
交通の便も、都内をあちこち引っ越してみれば意外と便利とわかったし、
なによりこの街は人のぬくもりがすごくある。
もっと言うと、都会の中の田舎。
今思えば、わが故郷の岐阜を重ねあわせていたのかもしれない。
実際、今の家のまわりは畑や生産緑地で、とても東京とは思えないかも。

あとさっきの青葉台じゃないけど、
もともとJR=国鉄の沿線だから、大手のデベロッパーによる都市開発じゃなく、
そこに少しずつ集まった人々の集合体な感じが素敵。
だから国分寺にはチェーン店やどこにでもある店よりも、
個人商店のほうが元気よかったり、支持を得ていたりする。

「不便を楽しむ」といったら笑われるかもしれないけど、
根っからの田舎モン(これ、誇りに思ってるトコロね)としては、
都会の暮らしに飼いならされてたまるか!という思いを20年以上持って暮らしてきたし、
ここ最近特に強く思うところだったりする。

日曜に参加させてもらった子供向けのイベントでも、
さすがに洟垂れ小僧は居ないが、みんな純粋で可愛い。
都会の田舎の良さだと思う。

通勤で毎日通う都心もいい街はあるが、殺風景なビル群の中のマンションをみるたび、
自分の歌の「おまえは本当に幸せかい?」を思わず口ずさんでしまう。
人それぞれだから、それを由とするならばどうぞ!という思いだが、
僕は多分一生田舎者スピリットで行くことになるので、
適度に田舎な国分寺の街、そして岐阜の街が好きなのだ。

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