2012年7月17日火曜日

SOY SOULS東日本ツアー記録 part1

先週末の金曜は東京高円寺ジロキチで、そして翌日は宮城へのツアーで、
我が故郷、岐阜が誇るブルースバンドSOY SOULSとのツアーに同行をしてきた。

【13日、高円寺ジロキチ』
この日のライブではFREEFUNKとしてオープニングを努めさせてもらった。
この日はベースのリッキーさんの最後のライブでもあったし、
FREEFUNKとしても記憶に残るライブとなった。
芽芽ちゃんも駆けつけてくれたし、前回のゴールデンエッグに続いて
横山パパの復活ともなったし、楽しいライブだった。
そして、翌日からの宮城へのツアーへの同行を春ぐらいに話した時に、
是非一緒に行きたい!と名乗り出てくれた凛凛も、このライブに参加をしてくれて、
アレサの「Respect」をばっちり歌ってくれた。
フィルモアでのライブ盤をベースにした演奏で、楽しかった!




そして21:00前からSOY SOULSのライブは始まったわけだが、
ゲスト参加というかたちで日本のブルースシーンの巨匠、永井ホトケ隆さんも登場いただき、
バッチリなブルースを3曲ほど歌っていただいた。
うち1曲は自分もギターで参加させてもらったのだけど、
痛恨のギターシールド断線。。。
力んで自分のシールドを踏んでしまった瞬間に、接触部分が切れてしまった。

無念だが、楽屋でホトケさんとは自分たちのイベント(TOKYO CHITLIN' CIRCUIT)にも
声をかけてもOKと快諾いただいたので、
どこかでリヴェンジさせてもらいます。

岐阜からやってきてくれた、僕の先輩達SOY SOULSは
ばっちりなライブを繰り広げてくれた。
まるで高円寺ジロキチが岐阜のダウンホームなライブバーになってしまったような、
そんな雰囲気。
客席の半分近くが岐阜県人だったのかもしれない(笑)。
しかしそんな事をさっ引いても、
最高なブルースライブの一つになったのは間違いない事だろう。




本当はそのままじっくり飲みたかったが、なにせSOY SOULS、自分も、
翌朝には宮城に向けて朝早く旅立たなくては行けないので、
ガマンをして23:30ぐらいにはお開きに。
(SOY SOULSの皆さんはホテルのある阿佐ヶ谷でその後飲んだようだけど)

【14日 宮城県ツアー 亘理町』
そして翌日の朝8:00には東京駅に集合。
新幹線での旅とはいえ、昼のライブもあるからバンドマンにはなかなか早い時間だね。
しかし、昨夜のライブの成功もあって、皆さんやけにテンションが高い。
ドラムの学さんはお子さんが男の子で、大の電車好きらしく、
新幹線(こまち)を撮影しまくり(笑)。




仙台で常磐線に乗り換え、最初のライブ会場である亘理町へ。
駅の目の前にある大きなお城のような建物が「悠里館」という
公民館兼図書館、市民ホールのような場所。

SOY SOULSの皆さんが盛んに「初寿司やんか」を連発(笑)。
これ、絶対に岐阜の一部にしかわからないよね。
凛凛とかは何のことやら、だったと思う。

ググってみたら初寿司の写真があったので、
比較写真を掲載しておきます(笑)。
初寿司、久々に行きたくなってきた!

初寿司はコレ。



悠里館はコレ。



簡単にセッティング、リハーサルを済ませ本番まで少し時間もあるので、
食事に。

実際に被災をされた方達ばかりなのに、我々を温かく迎え入れてくれ、
美味しいお弁当(後から聞けば完全に持ち出しだったのだとか)も用意していただき感激。
地元、亘理の松本鮮魚店さんの仕出し弁当、完食させていただきました。

実を言うと、時間があれば亘理の名物だという「はらこめし」を食べてみようと、
行く前に思っていたのだけど、これまたググって地図検索をすると、
ストリートビューでは津波に押し流された画像が出てくる。
その事に、今更ながら衝撃を受けていたのだけど、
地元のお店のお弁当をいただく事ができて嬉しかった。




本番は最初にマサル&ピーチパイ、次にざ・べっがーず。
両方とも地元や宮城〜仙台の方達で、自分の震災のときの想いや体験を交えながら
ライブが進んでいく。
客席はほぼ満席で、お子さん連れからお爺ちゃん、おばあちゃんまで
本当に地元の皆さんが集まってくれていた。

3番目にSOY SOULSのこうじ先輩とのデュオで、地元出身の渡辺望くんが登場。
バイオリンを片手に時々歌う、”天使のような”男の子。
本当に心が洗われる想いだった。
チック・コリアの「スペイン」なんていう、めちゃ難しい曲にもチャレンジしていたが
望くんがバイオリンでやさしく奏でた唱歌の「ふるさと」は、この日のライブのハイライトだったと思う。
会場の皆さんが演奏に合わせて自然と一緒に歌いだし、最後には涙ぐんでおられる方も居た。




震災はどこか遠い国でおこった事なのではない、こんなに身近にあって
今も街や、人の心に傷跡を残しているのだなあと痛感をした。

そんな心洗われる演奏の後に、
若干心の汚れたオジサン達が奏でる、汚れたブルース。。。。
いや、まずは凛凛 a.k.a. Sophieからだ。

会場が公民館の3階で、いわば普通の会議室みたいなところなので
思い切り明るい。
そんな中で凛凛 Sophieが歌う「Mas Que Nada」はとても良かった。
付き合いの長い音楽仲間だけど、実はソウルやファンク以外を歌う姿を見るのは初めて。
でも、選曲も含めてとても良かったとおもう。
2曲めには彼女のオリジナル「情熱の笑顔」をこうじ先輩のギターとのデュオで歌ってくれた。
これ、本当に良い曲だ。
二人ともリハは当日のほんのちょっとだけで、よくここまで完成させたよね、という出来。
素晴らしかった。

その後にはビートルズの「In My Life」「Twist & Shout」と続いた。
凛凛 Sophie & SOY SOULSはなかなか絵になるグループだ。

そして、自分も呼び込まれ、最後のセットに。
この時点でかなりスケジュールが押していたため、直前で曲を大幅カット。
自分の歌う曲から「大丈夫大丈夫」からスタートとなった。



東京ツアーの後、亘理町〜仙台を回ると聞いて、
実はこの曲を歌うために同行したい、と思っていた。
ORITOトリビュートライブで参加させてもらった曲で、
自分が煮詰まっていたときにこの曲に何度も助けてもらったし、
あのトリビュートライブ自体、震災直後の4月に開催され、
非常にこの曲の持つ意味が大きく感じられていたのだ。
そして幸か不幸か、今もなおこうした歌は歌わなければならない状況にあると思っていた。
だから、今回のツアーの話は与えられたチャンスだから、自腹だろうかなんだろうが
絶対に一緒に行ってこの曲を歌いにいこうと思っていた。

いつもと違い、ホーンセクションもオルガンも無い。
ドラムセットも音量の関係で今回はカホンに置き換えられている。
SOY SOULSの皆さんも初めて一緒に演奏する曲だから、
最初は不安を感じていたにちがいない。

でも歌ってよかった。
自己満足かもしれないけど、この曲のもつメッセージが届いたんじゃないかと思った。

ライブは良い感じに進行し、
自分はほかにも「Stand By Me」を歌わせてもらった。
ザ・バンドの「the Weight」なんてなかなか皆さんにはなじみ無い曲だったろうが、
これは今回のツアーの裏テーマ的な曲だったと思うし、
喜んでもらえた。

最後にこうじ先輩歌う「君といつまでも」憂歌団経由、加山雄三。
ブルースならではのフェイクや歌い回しがお年寄りにはおもしろかったみたいで、
一緒に歌えそうで歌えないのも、また由という感じ。

そんな感じで最後に大きな拍手を皆さんにいただき、
予定の終了時刻をちょっと押して終了。

終了後は地元のスタッフ(ボランティアの方ばかり)の皆さんとご挨拶だったが、
ご覧いただいたお客さんのお一人が駆け寄って来てくれ、
「大丈夫大丈夫、本当に心に残りました、また聞きたい!」
と言ってくれて本当に嬉しかった。
そのお客さんは、夜の仙台のライブにも来てくれて、
それもまたこの上なく嬉しい事だった。

仙台市内への移動の電車は17:00ぴったりだというので、
岐阜からのスタッフの皆さんの機材車をお借りして、
亘理町の市内を少し見させてもらうことに。

正直言うと、物見遊山的に被災地の様子やガレキの山を見るのはどうなのかな、
とライブ前までは思っていたのだけど、ライブ終了後にローカルFMのスタッフの方に
「是非町を観てください。そしてまだ伝えられない様子を、伝えてください。
どうか忘れないで」
と言われた事にすごく刺激をされ、この目で見ておこうと決めた。

ほんの20分程度の時間でしかないが、
目の当たりにした光景は、震災の傷跡はまだまだ深いものだった。
復興に向けて再建された家屋もあるが、
逆に複雑な気持ちになってしまう。
あれだけの津波があっても、やはりそこに住みたい気持ちというのは
実際にその立場にならないと理解できないんだろうなあ、とか。

青いビニールシートが貼られ、運動場が草まみれになったままの学校。
廃墟のような元スーパーマーケット。
かき集められたがれきの山。
立ち並ぶ仮設住宅。
今更ながらだけど、目の当たりにして言葉を無くしてしまった。





17:00ちょうどの常磐線にのって、
仙台市内に向かう電車の窓からみえる光景は、
いつしか見たのと同じ、のどかな田園風景なのだけど
その一方で、震災の影響がまだまだ続く状況なのだと思うと、
自分たちが東京で知る情報というのは、
本当にごくわずかでしかないんだと痛感をした。

「復興」はまだまだ道のり半ばなのだ。
今回自分ができた事なんて、本当にごく僅かも僅か、
ちっぽけでしかない。
むしろ支えになろうと思って乗り込んで、
地元の皆さんのあたたかい歓迎・おもてなしに甘え、支えられてしまった立場だ。

しかし、少しでも喜んでくれる人がいるなら、
待ってくれている人がいるのなら、
なんとかしようと行動をしなくてはいけないと思った。
これは震災や原発に限ったことではない。

今回の亘理町でのライブの名前は「ありがとう亘理♡コンサート」。
本当に僕らがありがとう、感謝をしなくてはいけないね。
だから、また機会を作って行きたいな

・・・なんていう事を考えたり、凛凛やこうじ先輩達と話ながら、
仙台市内に到着となった。


<part2 へと続く>

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