2018年2月9日金曜日

My Radio Sure Sounds Good to Me

話題の雑誌「BRUTUS」山下達郎SUNDAY SONGBOOK特集を買った。
名古屋からの帰りの新幹線で読もうと買ったのだけど、
まあ素晴らしい内容とボリュームで、あっという間に東京に着いてしまったよ。
しかもRadikoのタイムフリーで日曜のサンソンを聴きながら。

達郎さんの博学かつ拘りのある音楽愛を、雑誌というかたちで最大限に纏めた編集力、企画力に拍手を送りたいと思う。
「ラジオ」に「雑誌」に、いつの時代の話なんだと言われてしまいそうだが、
まだまだ出来ることがある、可能性があるんだなと思った。

先も書いたようにラジオのアプリが出てからは、以前にもましてラジオを聴く機会が増えた。
タイムフリーやエリアフリーで、例えば東海地方のローカル番組だって聴きたいときに聴ける。
これはとても画期的なことじゃないだろうか。
少なくともテレビは出来ない。

「SUNDAY SONGBOOK」、「SOUL MUSIC」、「バラカン・ビート」等
やっぱり良質な音楽をたくさん紹介してくれる番組は楽しいし最高だ。
電車の中でも、家でゆっくりしているときも気軽に聴けるのはありがたいこと。
テレビが似たり寄ったりの番組だらけで音楽番組も今一つ、な状況にあってはむしろラジオのほうが可能性を秘めていると思う。

今の若い世代はYouTubeで音楽を知ったり聴く事が多いらしく、それを嘆く向きもあるが、
自分たちの若いころだってお金ないからしょっちゅうレコードやCD買えなくて、
ラジオや深夜のテレビ番組が貴重な情報源だった。
そういう点ではメディアが変化したけれど、そんなに大きく変わったように思わない。

自分の十代のころ、FMは音楽番組が多いからよく聴いたし、AMの深夜放送(オールナイトニッポンとか)もめちゃくちゃ面白くて、
よく聴いていた。デーモン閣下のANNなんて最高に面白くて、あれ以来、実はデーモン閣下のファンだ!ちなみに閣下のANNはゲストに山下達郎さんも時々出ていた。

今でもよく覚えてるのは1986年ごろだったと思うが「ロック誕生30周年」という事で、1956年から1年ずつ、その年のヒット曲を放送する番組があった事。
古いロックやポップスが気になりかけてた時期だったので、頑張って大半を”エアチェック”して繰り返しテープで聴いていた。
初めて聴くビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」やエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」のカッコよさ。
リトル・リチャードのワイルドなシャウトや、甘美なサウンドだが歌声が素晴らしかったレイ・チャールズの「愛さずにいられない」・・・。
60年代に入るとビートルズやストーンズが台頭してきて、サウンドも一挙に変わってくる。
バニラ・ファッジなんて初めて聴いたし、オーティス・レディングなんかもかかってた。

あれはすごく勉強になったというか、夢中で聴いた。
今でもエアチェックしたテープがどこかにあるかもしれない。
そういえばFMステーションって雑誌は毎号必ず買ってたなあ。。。

ところでこの日誌のタイトル。「My Radio Sure Sounds Good to Me」
グラハム・セントラル・ステーションのアルバムタイトルで、邦題は「いかしたファンキー・ラジオ」。
いいアルバムだったけど、CD家に無いような気がする。
何処か行っちゃったかなあ? POW!!大好きな曲。
他にも名曲ぞろい。
「ソウルミュージック」でオダイさんにリクエストしてみようかな。


新幹線に乗る前にBRUTUS購入。じっくり読もう。

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2018年2月5日月曜日

FF22

FREEFUNK 1stライブから数えて22年ということで、ほんの少しばかり昔話を。
FREEFUNKを作る、ちょっと前のこと・・・1994年とか、95年あたりか。

大学生の時からやってたバンドが解散となり、本気のファンクバンドをやりたくて仲間を探し続けていたその頃。
バンドはまずリズム隊を固めなきゃ、という事でベースとドラムが揃ってるバンドに弾きに行ったり、セッションをやりまくってた。

ある時、なんだかお金持ちの御子息のドラマーと一緒にバンドをやってるというギタリストと連れの女性サックスと知り合い、
ベース抜きで4人でセッションをした。
なんとドラムの彼の井の頭沿線の豪邸内にスタジオがあり、機材完備・完全防音のスタジオだった。
玄関で靴脱いで、スリッパに履き替えてスタジオにお邪魔するような感じで。
しかしセッションの結果は散々で、ベースがいない事というより、お金持ちご子息のドラムプレイの酷さにがっくり来て途中でイヤになっちゃった・・・。
でも、飲みに行けばなんかうまく行くとでもお互いに思ってたのか、セッション終わった後に一緒に飲んだ気がする。
その時点で、全くバンドに発展する気がしなかったよ。

別のある時、キーボードもリズム隊もしっかり揃ってる連中のセッションに参加をした。バンドの形態としては割と良さげだった。
セッションという事でこれまたスライやらJBの曲をやったが、どうも今いちハマらなくて、
飽きちゃったのか、キーボードの人は俺に「じゃあ、ミニー・リパートンのLovin' You歌ってみて」となり、
無理矢理うたったけど、歌えるわけないよね(笑)。なんとかやったけどさ。
そんなバンドをやりたいわけじゃなかった。俺は俺の歌いたいやり方でバンドをやりたいと思いながら歌ってた・・・。
その時点で、全くバンドに発展する気がしなかったよ。

当時はまだインターネットなんてものは無く、バンドメンバーを探すイコール雑誌掲載(PlayerとかJazz Lifeとか)か、楽器屋やレコード屋の張り紙。
まだ大学生の駆け出しのころ、友人とバンドを組んで探したベースプレイヤーはファンクかなり聴きこんでるらしく、Funkadelicの「Loose Booty」なんかを得意としてた。
駆け出しの時のメン募セッションでは散々で、君らと一緒にやる気はないと断られたそのベースプレイヤー。
まさか数年後のこちらのメン募セッションにも連絡くれて、おなじようにセッションしたが、久々に演奏してみたら全く良くなく、
今度はこちらがお断りだった。つまり、数年間の間に彼は進歩も上達もしてなかったという・・・
その時点で、全くバンドに発展する気がしなかったよ。

毎回セッションをやるたびガッカリして家でしょげていた。
ある時なんだか陽気なギタリスト(W君と呼ぼう)とメンバー募集で知り合い、電話で話したら面白そうだったので一度音合わせしようという事になった。
W君はファンクが好きだというので会ってみたのだが、よくよく話を聞けば好きなのはレッチリぐらいで、あとはソウルもファンクもほとんど知らなかったが・・・。
その彼がセッションに連れて来てくれたのがスエフジ君だった。
どういう繋がりだったか忘れてしまったが、何かのセッションで一緒になったらしい。
とにかく音を出そう!という事で、ベース抜きで3人で渋谷のPentaスタジオに入ったのだが、
自分はスエちゃんのドラムとものすごく気持ちも音もあってしまい、W君そっちのけで二人で目くばせしたり合図しながら演奏は続いていった。
演奏したい音楽や心地いいグルーヴが一致する人とようやく会えた、そんな瞬間だった。

W君もその雰囲気を察したらしく、スタジオが終わった後に「俺はいいから、あとは二人でやりなよー」って感じになったのだ。
スエフジ君とよくよく話せば、住んでいる場所も近くクルマで渋谷に来たというので、
彼の車に乗せてもらい送っていってもらったが、話足りないのでファミレスでお茶でもしよう、となったのだった。
そしてたくさん音楽の話、やりたい音楽や好きな音楽の話をした。
その時点で、これはバンドに発展するぞって確信をもつことができたよ。

今度はスエちゃんともう一度スタジオでベース入れてやってみよう!という話になり、スエちゃんが連れてきてくれたのがゴンゾー、
ゴンちゃんだった。彼らは別のバンドで一緒に加入したばかりだったらしい。
そんなわけで3人で音を合わせたんだけど、ゴンちゃんはそんなに詳しくファンクを聴きこんでるわけじゃなかったが、
ハートで音楽を奏でてるさまがひしひしと伝わってくる熱い人で、これまた最高だった。
ついにリズム隊が揃ったから、動き出せる!という思えた。
ようやく形がみえてきた1995年の春あたりのことかな。

なんだって人との出会いだ。
あの時ゴンちゃんやスエちゃんと会ってなきゃ今はないし、そのスエちゃんを紹介してくれたW君がいなきゃ、今はなかったんだと思う。
たくさんのよき仲間、プレイヤーとの出会いは自分にとって財産だと思う。


2018年2月3日土曜日

Dennis Edwards Forever...

テンプテーションズの2代目リードボーカルのデニス・エドワーズが亡くなってしまった。
ここ最近、体調が悪いという話だったので心配だったが、残念ながら誕生日を目前に亡くなってしまった。

テンプスの初代リード、デヴィッド・ラフィンは見る事が出来なかったが、デニスは2000年代に入り、
The Temptations Reviewと称して、なんとアリ・オリ・ウッドソンやテンプス加入を断った事で有名なデヴィッド・シーなどをメンバーに引き連れて来日公演をやってくれた。
初めて来たコットンクラブでのライブはまさに”砂被り”の最前列で観たのをよく覚えている。
本当に素晴らしいショーだった。
その後アリ・オリが体調がすぐれないという話になり、2回目の来日公演では確かG.C.キャメロン(元スピナーズ!)を連れてきていた。


ショーを見て感じたのは、デニス時代のヒット曲、有名曲はファンク度の強い曲が多いという事。
ノーマン・ホイットフィールドのサイケ路線とデニスの在籍時代が一致していたので当然なんだけど、
デニスの太い歌声はファンク路線にぴったりだったんだと思う。

デヴィッド・ラフィン時代のスタイリッシュなソウルも素晴らしいし、
デニス時代のファンク路線も素晴らしい。
アリ・オリが加入してからのモダンな楽曲も素晴らしい。

一番好きなのはアリ・オリが居た頃のテンプスだったりするが、
ソウルミュージックにはまり始めて夢中で聴いていた20才そこそこのころ、
CDやレコードを買い漁って聴きまくっていたのは70年代のサイケ&ファンク路線のテンプスだった。
パーラメントやファンカデリックとも直結する(影響を受けたのはテンプスらしい?)、新しいソウルミュージックのサウンドだった。


時代によって柔軟にスタイルを変化させながらも続いていくテンプテーションズはまさにソウルミュージック、いやポピュラーミュージックの宝といっていい。
また一人その看板ボーカルが居なくなってしまったことは本当にさみしい。
また聴きたかった・・・。

Rest In Peace, Dennis Edwards!